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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)3024号 判決 1960年5月06日

原告 水口賢明

被告 国

訴訟代理人 横山茂晴 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三〇年五月一〇日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに「仮執行の宣言を求める。」と申し立て、請求の原因として、

「(一)、原告は、昭和三〇年四月二三日茨城県行方郡において施行された同県議会議員選挙に立候補し、定員二名のところ、二位にあたる六、八五六票の得票を得たものである。

(二)、原告は、これより先、公職選挙法違反の罪で、水戸地方裁判所土浦支部に起訴され、昭和二八年四月二二日「懲役八月、二年間執行猶予」の判決を受け、東京高等裁判所に控訴したが、同年九月一二日「控訴棄却」の判決を受け、さらに、最高裁判所に上告、昭和二九年五月六日「上告棄却」の判決を受け、ここに、右有罪判決は確定した。したがつて、原告は、右選挙施行当時被選挙権を停止されていたものであるが、東京高等検察庁が昭和二九年七月七日付で原告の本籍所在地の茨城県行方郡潮来町役場にあてて発した既決犯罪通知書には「原告に対し公職選挙法第二五二条第一項の規定を適用しない。」という趣旨が記載されていたため、原告は、被選挙権があるものと信じて右の如く立候補し、選挙関係係官も同様に信じてその届け出を受理したものである。

(三)、ところが、東京高等検察庁は、昭和三〇年四月二二日に至り右通知書の記載誤りに気づき、翌二三日、潮来町役場にあてて「前記通知書の記載は誤りであつて、原告は被選挙権を停止されている。」という訂正通知書を発し、その通知書は翌二四日選挙執行中に同役場に到達した。そのため、原告の前記得票は全部無効とされるにいたつた。

(四)、しかして、既決犯罪通知書の作成および送達等の事務は、刑事被告人の本籍所在地の市町村役場に当該被告人の犯歴をとどめて、再犯等の場合に、犯歴の発見を容易ならしめるため、明治一四年一二月一九日丁第三三号司法通達にはじまる一連の訓令に基く具体的な国家刑罰権行使の最終段界の事務であり、そうでないとしても、国家刑罰権の行使に密接に付随する事務であるから、その衝にあたる検察事務官は、国家権力を行使する国家公務員として有罪判決の裁判書の内容を正確に右通知書に記載することをその職責とし、その執行にあつては、つぶさに裁判書の内容を検討して誤りなく所要事項を右通知書に記入すべき注意義務があるのに、本件既決犯罪通知書の作成等にあたつた東京高等検察庁検察事務官は、これを怠たり、漫然と右通知書に所要事項を記載したため、前記のような誤記を生ずるにいたつたものである。

(五)、原告は、右担当検察事務官の過失に基く職務執行として前記加害行為を生ぜしめられたものであるから、国家賠償法第一条第一項に基き、被告は、原告に対し、右加害行為により原告のこうむつた損害を賠償すべき義務があるところ、原告は、次の損害をこうむつた。すなわち、

(1) 、金二〇、〇〇〇円(供託没収金)

原告は、前記立候補に際し、公職選挙法第九二条第三号に基き、金二〇、〇〇〇円を供託していたところ、原告の得票は全部無効になつたことを理由として右供託金は没収され、同額の損害を受けたので、その相当損害金。

(2) 、金八〇、〇〇〇円(選挙運動費用の一部)

原告が、前記選挙の運動費として費消した金一七一、八四七円のうちから、寄付金その他の収入合計金八五、九〇〇円を控除した残金八五、九四七円は、前記得票が無効となつた結果無用の金を費消したことになり、同額の損害をこうむつたので、そのうち金八〇、〇〇〇円。

(3) 、金四〇〇、〇〇〇円(精神的損害)

原告は、法政大学専門部中途退学、会社員、日本水郷交通株式会社常務取締役、鹿島参宮鉄道株式会社嘱託、水郷潮来観光協会々長、潮来町農業委員長、行方郡農業委員、潮来町水害予防組合管理者、公民館長、潮来町長等々を歴任し、現在、年令六〇才、資産約一、五〇〇、〇〇〇円を有し、選挙当時月収三〇、〇〇〇円を下らず、行方郡において、著しく信望があり、政治家としての前途を嘱望されていたところ、前記検察事務官の過失行為により、原告の県会議員当選は一挙にしてくつがえされたのみならず、昭和三〇年四月二四日から一〇数日にわたり、各種新聞に「原告が被選挙権もないのに立候補した。」という記事を大々的に掲載され、地元はもちろん全国的に報道されたため、原告の名誉、信用は著しくきづつけられ、政治家または事業家としての生命に甚大な打撃を受け、その精神的苦痛は言語に絶するものがある。よつてその精神的損害を慰謝するに足りる相当額金一、〇〇〇、〇〇〇円のうち金四〇〇、〇〇〇円。

以上合計金五〇〇、〇〇〇円。

(六)、よつて、原告は、被告に対し、右金五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する前記加害行為後の昭和三〇年五月一〇日から完済にいたるまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだものである。」と述べた。

被告訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、答弁として、「原告の主張事実のうち、(一)は認める。(二)のうち、原告が被選挙権を有すると信じていたことは否認する。その余の事実および(三)は認める。(四)ないし(六)は争う。

原告主張の第一審判決は「公職選挙法第二五二条第一項を適用しない」旨の宣言がなされていないので、その被告人本人であつた原告は自らその主張の被選挙権停止の事実を承知していたものというべく、このことは、原告の控訴趣意書および上告趣意書において公民権停止を不当と論じていることから見ても疑う余地はない。したがつて、原告が主張の損害を受けたとしても、それは原告が自らまねいたものであつて、被告にその賠償責任はない。」と述べた。

理由

原告の被侵害法益がいかなるものであるかの点はしばらくおくとして、原告は同人主張の(一)の選挙施行当時「被選挙権を有すると信じていた」と主張するので、まずその点を判断するに、原告に対し同人主張の(二)の各判決の言い渡しがなされ、したがつて、同人が右選挙施行当時被選挙権を有していなかつたことについては当事者間に争いのないところであるが、原告は、少なくとも、右争いのない第一審判決の「懲役八月、二年間執行猶予」とする有罪判決の言い渡しに際しては、刑事訴訟法第三四二条、第二八六条、第二八五条第二項、刑事訴訟規則第三四条、第三五条、第二二一条、公職選挙法所定の各罰条に照し、公判廷に出頭しその宣告を受けたものと解されるから、その内容を十分認識し得たはずであり、これに、原告が右有罪判決に対してなした控訴および上告の申立はいずれも棄却され、右有罪判決が確定したこと当事者間に争いのない事実に照せば、原告が被選挙権を停止された事実を知らなかつたとはいえない。かりに、原告がその主張の選挙に際し被選挙権があると信じていたとしてもそれは自ら受けた有罪判決の内容を忘却したものであり、その信じたことについて原告自らの過失があると断ずるのほかはない。なるほど、原告主張の既決犯罪通知書にはその主張の如き誤記があつたこと当事者間に争いのないところであるが、該通知書は、既に発生している被選挙権停止の効果を左右するものではなくして、単に、当該被告人の本籍所在地の市町村役場にその犯歴をとどめて、再犯等の場合、犯歴の発見および取調等を容易ならしめるためのものと解されるから、既決犯罪通知書に右の如き誤記があるからといつて、前認定になんらの消長をきたすものではない。かえつて、原告主張の立候補届出等は、右犯罪通知書に基く選挙関係係官の誤認に乗じて不当に被選挙権を行使しようとした心りを推測せしめ得るものがあるともいえる。してみれば、原告の主張は、その余の判断をするまでもなく、理由がない。

よつて、原告の本訴請求は理由がないから、失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫 井口源一郎 金子仙太郎)

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